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Urasimatarou 3 страница



 親子が天の川にとうちゃくすると、ほしがいたるところにきらめいていて、とても美しいこうけいでした。Oyako ga (родитель и дети) ama no gawa ni toutyaku suru to (когда прибыл), hosi ga itaru tokoro ni (звезды всюду) kirameiteite (сверкали; kirameku — сверкать, сиять), totemo utukusii koukei desita (очень красивый вид был; 光景koukei: свет, луч + сцена, зрелище). けんぎゅうはつまに会えるよろこびで、もうちょうてんになり、子どもたちは「お母さん」とさけびました。Kengyuu wa tuma ni aeru (что сможет увидеться с супругой) yorokobi de (радуясь), mou tyouten ni nari (еще выше становясь; 頂点tyouten: «макушка + точка» — вершина, верхушка), kodomo-tati wa “Okaasan” to sakebimasita («мама» закричали).
 するとそれを見ていた女神はしっとで怒り狂い、天の川のまんなかにかんざしで線を引いて、親子をわたれなくしてしまったのです。Suruto (затем) sore wo miteita megami wa (это увидевшая богиня) sitto de (от ревности, зависти) ikari kurui (обезумевшая; kurui — отклонение, беспорядок, расстройство), ama no gawa no mannaka ni (по середине) kanzasi de (булавкой) sen wo hiite (линию проведя), oyako wo watarenakusitesimatta no desu (перейти никак не могли; wataru — переходить).
 すると女神の怒りで、川の水がまし、天の川はだいこうずいになってしまいました。Suruto megami no ikari de (затем от гнева богини), kawa no mizu ga masi (вода в реке прибывала; masu — увеличиваться), ama no gawa wa daikouzai ni nattesimaimasita (превратилась в большой поток; 洪水kouzai: «наводнение, большой + вода»; 大dai — большой). 親子はたちまち川のゴウゴウと音のする波にもまれておぼれそうになりました。Oyako wa tatimati (сразу, неожиданно) kawa no gougou to (громовый, гремящий) oto no suru (звук делающей) nami ni momarete (носились по волнам; nami — волна, momareru — быть мятым) oboresou ni narimasita (чуть не утонули; oboreru — тонуть). しかし三人はまだあきらめません。Sikasi (однако) sannin wa (трое) mada (еще) akiramemasen (не сдавались; akirameru).
 「お父さん、この川の水をくんではすてて、カラにしましょう・・・そうすればあさせになるでしょう。“Otousan (отец), kono kawa no mizu wo (эту воду реки) kunde wa (вычерпывая; kumu — черпать) sutete (выбрасывая; suteru), kara ni (пустой) simasyou… (сделаем-ка, сделаем, пожалуй) sou sureba (так если делать) asase ni naru desyou (мелью, пожалуй, станет; 浅瀬 asase — мель; 浅asa(i) — отмель; 瀬 se — поток). そうすれば何とかお母さんに会いに行けるでしょう」Sou sureba nantoka (как-нибудь) okaasan ni ai ni ikeru desyou (с матерью сможем встретиться: «к матери навстречу выйдем!»).”
 けんぎゅうは子どもの意見にしたがい、水をひしゃくでくんではすて、水をくんではすて、けんめいに天の川とかくとうしはじめたのです。Kengyuu wa kodomo no iken ni sitagai (желанию следуя; sitagaeru — сопровождать; следовать /желанию/), mizu wo hisyaku (черпаком; 柄杓 hisyaku: ручка + ложка) de kunde wa sute, mizu wo kunde wa sute, kenmei ni (с усердием, рискуя жизнью; 懸命 kenmei: «лишаясь жизни») ama no gawa to kakutou sihajimeta no desu (сражение начали; 格闘 kakutou — стычка, первый бой: «положение + битва»).
 父がつかれると女の子がかわりに、女の子がつかれると男の子がかわりに、じゅんばんに水をくんではすてました。Titi ga tukareru to (oтец утомился когда) onna no ko ga kawari ni (девочка на очередь), onna no ko ga tukareru to otoko no ko ga kawari ni, jyunban ni (по очереди; 順番 jyunban: «очередь + число, порядок») mizu wo kunde wa sutemasita.

 それを見ていた女神はあわれに思い、三人に言いました。Sore wo miteita megami wa (это видевшая богиня) aware ni omoi (к жалости, в сторону жалости подумав = сжалившись; 哀れ беспомощный, жалкий; 哀 ai/awa(re) — нечто грустное, бедность; awa(remu) — испытывать жалость), sannin ni iimasita (троим сказала).
 「もう水をくむのはやめなさい。“Mou mizu wo kumu no wa (больше воды черпание /no — субстантиватор/) yamenasai (прекратите; yameru — прекращать, останавливать). これからは子どもたちは天の川に母とすむが良い。Korekara wa (с нынешнего момента) kodomo-tati wa (дети) ama no gawa ni (на Млечном Пути) haha to sumu ga (с мамой жить) yoi (хорошо, ладно). けんぎゅうは七月七日におりひめと会えるようにしてあげましょう。Kengyou wa sitigatu (седьмого месяца) nanoka ni (седьмого числа) Orihime to aeru youni (с Орихиме встретиться чтобы) site agemasyou (позволю, дам; ageru — давать /указывает здесь на направленность действия от 1-го лица к 3-му/). ただし一年に一回ですよ」Tadasi (однако) itinen ni (в один год) ikkai (один раз) desu yo (будет, вот так!).”
 けんぎゅうはそれを聞いて、「ありがとうございます」とひざをおっておれいを言いました。Kengyuu wa sore wo kiite (это услышав), “Arigatou gozaimasu (спасибо, премного благодарен).” to hiza wo otte (колени преклонив: «сложив»; oru) orei wo iimasita (поблагодарил; 礼rei — выражение благодарности; нравственность).

 それいらい毎年七月七日にけんぎゅうとおりひめは天の川のちょうどまんなかで会うことができるようになり、毎年涙のさいかいをはたすのでした。Soreirai (с тех пор) maitosi (каждый год) sitigatu nanoka ni (седьмого месяца, седьмого числа) Kengyuu to Orihime wa ama no gawa no tyoudo (丁度точно: «лист, пласт + счетное слово для происшествий») mannaka de (на середине) au koto ga dekiru (могли встречаться) youni nari (стало так /что могли встречаться/), maitosi (каждый год) namida no saikai wo (еще одна слезная встреча; 再会 «снова + встречаться») hatasu no desita (совершается; hatasu — совершать).
 今でも夏になると、夜空に天の川が白く美しくきらめきます。Imademo (даже теперь, по прежнему) natu ni naru to (лето наступает когда), yozora ni (на ночном небе) ama no gawa ga siroku (бело, белым /светом/; siro — белый) utukusiku (прекрасно, красиво) kiramekimasu (сияет, сверкает; kirameku). そのりょうはしにひときわ大きくきらめくほしが、けんぎゅうとおりひめです。Sono (эти) ryouhasi ni (на двух, обоих концах; 両端 ryouhasi: «два, оба + конец, окраина») hitokiwa (особенно, значительно) ookiku kirameku hosi ga (большие сверкающие звезды), Kengyuu to Orihime desu.そしてけんぎゅうのそばに小さなほしがふたつならんでいます。Sosite Kengyuu no soba ni (возле: soba 側 близко, соседство) tiisana hosi ga futatu (маленьких звезды две) narande imasu (следуют; narau — следовать, подражать). それが二人の子どもたちの姿です。Sore ga futari no kodomo-tati no sugata desu (это двух детей образ).
 これは今から何千年も前のちゅうごくでのお話です。Kore wa (это) ima kara (от сегодня = от настоящего времени) nanzennen mo (несколько тысяч лет уже) mae no (раньше, прежде; mae — перед) Tyuugoku de no (в Китае /сложенный/) ohanasi desu (рассказ есть).

たなばた

おりひめとけんぎゅうのひれん

 むかしむかしあるところに天の川と呼ばれるところがありました。そこはふたつのせかいにわかれており、一方は人間がすみ、もう一方は神々のすむところでした。
 人間のすむところは西のせかい。神のすむところは東のせかいとなっており、そうほうつきあいはありませんでした。
 西のせかいに、けんぎゅうという若い美しいせいねんがすんでいました。彼は牛飼いとして毎日牛とともにくらしていた。
 一方神のすむ東のせかいには、たいへん美しいおりものをおるおりひめの姉妹がすんでいました。姉妹の末娘はとくに美しい娘でおりのぎじゅつはすぐれておりました。ひろいひろい天の川をはさんで二人はそれぞれくらしていたのです。

 ところがある日のこと、けんぎゅうが牛をつれてさんぽをしていると、天の川の東にいつのまにかたどりついてしまいました。そこでおりひめたちが美しいきぬのきものをぬぎ、川で水あびをしているのでした。けんぎゅうはその美しい娘たちの姿を神とは知らずながめていました。たいへん美しいこうけいでした。中でもけんぎゅうは末娘の姿に心をうばわれたのです。そのひとみは初めてのこいに目覚めた若者のそれだったのです。
 そのようすをながめていた牛の一つとうが彼にささやきました。
 「けんぎゅうよ、あの娘のきものをぬすんでしまいな・・・」
 けんぎゅうはそれを聞くと、牛の言うとおりに、末娘のおりひめのきものをそっと木のえだからひきぬくと、いわかげにかくしてしまいました。

 おりひめは川からあがり、きものをさがすと自分のきものがなくなっているのに、気がつき、あわてました。
 「あとから行くから」とあねたちに末娘は言いました。そしてきものがないのでとべない末娘はその場にはだかでうずくまっておりました。
 するとうしろから声をかけられました。
 「あなたのきものはここにあります・・・・でもおねがいがあります」
 声の方をふりむくと、せいねんがせなかを向けてたっていました。
 「わたしのつまになってほしい」
とせいねんは言いました。
 「わたしは天に帰らねばなりませぬ」
 せいねんは岩にみをかくしたおりひめの顔をふりかえりました。
 「わたしのつまになってほしい」
 けんぎゅうの顔を見て、おりひめはむねをつかれました。そのりりしい姿、その美しいまなざし。彼女は「つまになってほしい」という申し出を受け入れることにしました。
 内心、とにかくきものを返してもらえば・・・とも思いました。

 やがて二人のあいだに女の子と男の子が生まれました。おりひめは一度も天に帰ることもなく、くらしたのです。けんぎゅうもしあわせ、おりひめもしあわせをかんじ、生まれた子たちもやさしい母と父にかこまれてしあわせでした。
 しかしコンロンの山にすむ女神が、おりひめがけんぎゅうのあいだに子どもまでつくり人間のせかいでくらしているのを聞いておこり、はぎしりをしました。やきもちだったのです。
 「ぜったいゆるせません。早くおりひめを連れてきなさい。」
 女神は天からつかいのものを出し、おりひめをむりやりに連れさりました。

 のこされたけんぎゅうと子どもたちは泣きくらしました。しかし泣いてばかりはいられません。ある日、けんぎゅうは二人の子どもをかごに入れてせおうと天の川の東に向かって歩き続けたのです。
 何日も何日もかけて天の川のはしにとうちゃくすると、ふしぎなことに天の川はかげもかたちもなくなりました。けんぎゅうがどこに行ったのかと見れば、天の川はとおくに見えるのです。
 女神が二人のなかをさくために、天の川のいちをもっと上に上げてしまい、けんぎゅうがおりひめと会えないようにしてしまったのです。けんぎゅうとおりひめはそれぞれとおくで涙を流していました。
 親子ははるかにとおくにひっこししてしまった天の川をながめ泣きながらお家に帰りました。家に帰り泣きくらしていると、どうじょうした牛がささやきました。
 「けんぎゅうよ、わしが死んだら、わしのかわを使ってうわぎをつくれ、それを着たら、天の川にのぼれるぞ」
 牛はそのままいきをひきとったのです。けんぎゅうは牛が自分の心をわかってくれたことと、死をもって自分のきぼうをかなえてくれようとしていることを知りふたたび泣きました。
 彼はさっそくその牛のかわでうわぎをつくり、それを着て子どもたちをかごに入れ、天の川めがけて旅立ちました。

 親子が天の川にとうちゃくすると、ほしがいたるところにきらめいていて、とても美しいこうけいでした。けんぎゅうはつまに会えるよろこびで、もうちょうてんになり、子どもたちは「お母さん」とさけびました。
 するとそれを見ていた女神はしっとで怒り狂い、天の川のまんなかにかんざしで線を引いて、親子をわたれなくしてしまったのです。
 すると女神の怒りで、川の水がまし、天の川はだいこうずいになってしまいました。親子はたちまち川のゴウゴウと音のする波にもまれておぼれそうになりました。しかし三人はまだあきらめません。
 「お父さん、この川の水をくんではすてて、カラにしましょう・・・そうすればあさせになるでしょう。そうすれば何とかお母さんに会いに行けるでしょう」
 けんぎゅうは子どもの意見にしたがい、水をひしゃくでくんではすて、水をくんではすて、けんめいに天の川とかくとうしはじめたのです。
 父がつかれると女の子がかわりに、女の子がつかれると男の子がかわりに、じゅんばんに水をくんではすてました。





Дата публикования: 2015-01-13; Прочитано: 319 | Нарушение авторского права страницы | Мы поможем в написании вашей работы!



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